ホームスクールを始めた頃。生活はボロボロだった。母子ともに、心身ともに疲れていた。まず最初の課題は、とにもかくにも、眠れるようになることだった。
うちには二匹の猫がいる。ジャスパーのお姉ちゃんと妹だ。いつも心の支えになってくれる頼もしい存在なのだけれど、この時はふたりの力だけでは足りず、動物園に通った。
ジャスパーはキリンにもライオンにも、レッサーパンダにも目もくれず、いつもふれあいコーナーに直行した。閉門までずうっと、動物を抱っこして、じっと座って過ごした。ひよこ、ネズミ、モルモットから始まり、通っているうちに大きなニワトリも抱っこできるようになった。
その頃にはふれあいを早めに切り上げて他の動物たちにも会えるようになった。ジャスパーのお気に入りはペンギン。写真を撮ったり、飼育員さんとお話したり。ずっと三白眼になっていたジャスパーの黒目が本来の大きさに戻り、キラキラするようになった。夜、良く眠れるようになった。
体調が落ち着いてくると、次の課題が待っていた。ジャスパーの「ぼくは学校に行っていない」「みんなは学校で頑張っているのに」という、罪悪感、焦燥感ケア。ママと二人で勉強はしているのに、なんとなく居心地が悪い。とにかくやろう、頑張ろう。ちゃんと頑張っていれば、胸を張っていられるでしょう?
そうこうしているうちにママの体調不良がぶり返した。お出かけ疲れと溜まった家事に、ジャスパーの教師役の仕事が加わり、あえなくダウン。ママは元気になったジャスパーの隣で寝込む羽目となった。寝込むとまた家事が溜まる。溜まった家事を片付けると、疲れてまた寝込む。冬場の風邪でお馴染みの負のスパイラルに陥ってしまった。
カラダは動かせなくても、アタマは動かせる。布団の中でママは考えた。お題はジャスパーの罪悪感、焦燥感の払拭と、ママの親業と教師業の両立の二点。
自分が完璧主義に陥りやすいことについては自覚がある。それでいつもやり過ぎる。あちらを立ててこちらを転ばせてはダメなのだ。仕事の量と時間を減らさなければ。目指せ効率アップ。目指せ、ウィンウィンシチュエーション。一事が万事を、一石二鳥に。
まずはジャスパーに通達。
「いつも家事のお手伝いありがとう。さて、ホームスクールを始めて、ママは君の勉強を"手伝う"ことが"仕事"になりました。家事の時間が足りません。これからは君も家事を"手伝う"のではなく自分の"仕事"として頑張ってください」「え~~~」
そして、ここで一石二鳥。
「家事の時間は"家庭科"とカウントします。君の自由時間を奪うものではありません」「それならいい!ぼく頑張るね!」よーし、ウィンウィン。
ジャスパーの「自分は頑張りが足りないのではないか」という罪悪感と焦燥感の払拭についても、一石二鳥でいくことにした。
日常生活を項目分けして、内容をいちいちジャスパーに発表するのだ。まあ、それだけ。スーパーに買い出しに行けば、往復の歩き、荷物運びは"体育"、商品を見れば材料は"理科"、生産、流通、スーパー自体の仕組みは"社会"。ほーら、いっぱい学習できちゃったよ。すごいねえ。
こんな風に考えると、鳥を見たり植物遊びのために出かける公園散歩も、しっかり歩けば"体育"、図鑑持参なら"理科"、地図持参なら"社会"、絵を描いたり、植物遊びをしたら"図工"と"理科"だ。
たとえママが寝込んでいても、録画したドキュメンタリー番組を一緒に見れば、"理科"、"社会"。本はたとえ漫画であっても"国語"だし、その内容は"理科"、"社会"と"道徳"はもちろん、"家庭科"に分類できるものもある。映画を見れば、"音楽"、字幕で見れば"英語"まで学べる。
教えている、学んでいる、という自覚が双方にあれば、生活全部がちゃーんと学習だ。毎日が生まれて初めての連続である子どもからしてみれば、そりゃ、そうなのだ。
だんだん色々わかってきて、ママは国語と理科と社会は教科書で"教える"ことをしなくなった。わざわざ時間を作らなくていい。日常生活で学びまくっていることを知ったジャスパーも、だんだん焦らなくなってきた。
頃合いを見ていきなりテスト用紙を渡す。ジャスパーがすでに知っていることが結構ある。全部を知っていなくてもいい。そこで教科書を開けば、"調べ物学習"ができる。最近ではジャスパーも調べ物のコツが分かってきたようで、採点後の復習もぐんと減った。
一石二鳥。親ラク子ラク。合言葉は、ウィンウィン。
心のリハビリから始まった我が家のホームスクール生活。慣れてきた今年は、こんな風。