学校に合わないジャスパー。小・中・高と学校に合わなかった私。
私が小学生だったのは、はるか40年も前のことなのに、学校はあまり変わっていない。コドモがオバサンになるほどに、時が経っているのに。汚れてしまった川にカワセミが戻って来るほどに、行政も企業も人の意識も変わっているのに。これはどうしたことだろう。
考えてみれば、ああ、そうだ!
先生になる人は、子ども時代、学校に合って、学校が楽しかった人たちだろう。学校っていいな、友達っていいな、先生好きだな、先生みたいになりたいな、私も先生になろう!というのが自然な流れだろう。学校に不満を抱え、疑問を持ちながら卒業し、学校に革命を起こすべく教師として着任!という人は、おそらく皆無だろう。
「学校遺伝子」とでも言えるようなものが存在しているかのようだ。「学校」が子どもを、教師を選び、その体質を維持しようとする。だから「学校」は変わらない。変えたい人は、中にはいない。良くしよう、と思うことはあっても、変えないことが、大前提だろう。「学校」に変わってくださいと言うのは、無理、無駄、ともすれば、学校遺伝子継承者の心を傷つけかねない。
このことに気付いてから、漠然とした「ホームスクールで行こうかな…」は、明快な「ホームスクールで行きましょう!」に変わった。
Win -Win の関係でいたい相手なら、合わないなりに大切にしたい相手なら、距離を置くことがベストだろう。
「学校」と良い距離を保たせてくれているジャスパーの学校の先生たちに感謝している。
距離を理解してくれる先生が増えるといいな、と思う。
Sweetbeansoup について
「ねえねえ、ママ。sweet bean soup ってなあに?」「お汁粉のこと。美味しそうでしょ~。お汁粉、知る子、ウフフ」「ダジャレだね、ママ」「寝る子は育つ。知る子も育つ。ウフフフフ」「もう寝ようよ、ママ」「ハイ、育ちましょう~」
2016年5月19日木曜日
学校とカレーライス
カレーライスが嫌い、という子がいた。アレルギーでもないのに、ただ苦手。周囲からとても珍しがられて、大変そうだった。
美味しいよ、と勧められ、断れば変な子と言われ、どうして美味しいと思えないの、と詰め寄られ、こんなに美味しいのに!と怒られ、どうして食べてくれないの、と泣かれていた。
大変そうだなあと思った。
学校に合わない子どもも、珍しい存在だろう。同じような経過を辿る。
うん、まあ、大変。
少数派は、いつも、大変。
美味しいよ、と勧められ、断れば変な子と言われ、どうして美味しいと思えないの、と詰め寄られ、こんなに美味しいのに!と怒られ、どうして食べてくれないの、と泣かれていた。
大変そうだなあと思った。
学校に合わない子どもも、珍しい存在だろう。同じような経過を辿る。
うん、まあ、大変。
少数派は、いつも、大変。
2016年5月7日土曜日
定型外発達
「定型発達・非定型発達」、と言われるが、当事者の母であり、ズバリ当事者でもある私はこれを「定型発達・定型外発達」と言いたい。郵便みたいで、カワイイでしょ。どっちも扱ってもらえるけど、定型外は、手間とお金が定型よりちょっと余分にかかる、っていうところも似ているし。
「定型・非定型」という言葉を知るずっと前、私がデザイン学校に通い出してから、そして社会に出てからヒトビトに感じた分類は、「アート系・非アート系」だった 。
小・中・高と「普通の子」たちから「変な子」と言われ続けてきたのに、デザイン学校に入ってみたら、自分はとても「普通」だったのだ。これは驚きだった。私が通ったのは大手のデザイン学校で、無試験で入ることができたせいか、入学当初はいわゆる「普通」の「非アート系」の子もちらほら混ざっていた。
多数派の「アート系」の子に囲まれる学校生活は、それまでずっと多数派に属していた「非アート系」の子には苦痛だったと思う。言葉が通じない、空気が読めない世界。大量に出される課題のせいもあってか、初めての夏休みが終わると学校には「アート系」ばかりが残り、学年から実に数クラスが消失していた。
多数派の中に少数派として存在することは、誰にとっても大変なことなのだ、ということを経験し、目撃して、実感した。ああ、なあんだ、そういうこと。ヒトのヨノナカにも「棲み分け」があるんだ。それぞれに「居場所」はあるんだ。
学校を卒業し、いくつか職を変えた。すごく合うものも全く合わないものもあった。やっぱり、棲み分けなんだ、じゃあ、コレだ、とイラストレーターの仕事を始めてみると、とても楽しく居心地が良かった。そして、自分の「変さ」は仕事に必要不可欠なものであったことも知った。
モノ作りの世界ではそれは「変」とは言われず、「個性」と呼ばれ、尊重される。アート系の勝負どころは、鋭敏な五感。感受性。過敏と言われ、疎まれてきた、自閉の特性そのものだ。アートを仕事として〆切を全うするには、過集中さえもが、大切な特性だった。
こんな風にヨノナカを見てきているので、ロージーママは息子のジャスパーが学校に合わなくても、不思議には思わない。
ジャスパーが自分の棲み分け適正地を見つけ、そこに無事に着地できるように、サポートできれば、いや、しよう、と思っている。
「定型・非定型」という言葉を知るずっと前、私がデザイン学校に通い出してから、そして社会に出てからヒトビトに感じた分類は、「アート系・非アート系」だった 。
小・中・高と「普通の子」たちから「変な子」と言われ続けてきたのに、デザイン学校に入ってみたら、自分はとても「普通」だったのだ。これは驚きだった。私が通ったのは大手のデザイン学校で、無試験で入ることができたせいか、入学当初はいわゆる「普通」の「非アート系」の子もちらほら混ざっていた。
多数派の「アート系」の子に囲まれる学校生活は、それまでずっと多数派に属していた「非アート系」の子には苦痛だったと思う。言葉が通じない、空気が読めない世界。大量に出される課題のせいもあってか、初めての夏休みが終わると学校には「アート系」ばかりが残り、学年から実に数クラスが消失していた。
多数派の中に少数派として存在することは、誰にとっても大変なことなのだ、ということを経験し、目撃して、実感した。ああ、なあんだ、そういうこと。ヒトのヨノナカにも「棲み分け」があるんだ。それぞれに「居場所」はあるんだ。
学校を卒業し、いくつか職を変えた。すごく合うものも全く合わないものもあった。やっぱり、棲み分けなんだ、じゃあ、コレだ、とイラストレーターの仕事を始めてみると、とても楽しく居心地が良かった。そして、自分の「変さ」は仕事に必要不可欠なものであったことも知った。
モノ作りの世界ではそれは「変」とは言われず、「個性」と呼ばれ、尊重される。アート系の勝負どころは、鋭敏な五感。感受性。過敏と言われ、疎まれてきた、自閉の特性そのものだ。アートを仕事として〆切を全うするには、過集中さえもが、大切な特性だった。
こんな風にヨノナカを見てきているので、ロージーママは息子のジャスパーが学校に合わなくても、不思議には思わない。
ジャスパーが自分の棲み分け適正地を見つけ、そこに無事に着地できるように、サポートできれば、いや、しよう、と思っている。
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