Sweetbeansoup について

「ねえねえ、ママ。sweet bean soup ってなあに?」「お汁粉のこと。美味しそうでしょ~。お汁粉、知る子、ウフフ」「ダジャレだね、ママ」「寝る子は育つ。知る子も育つ。ウフフフフ」「もう寝ようよ、ママ」「ハイ、育ちましょう~」

2016年7月16日土曜日

"困っている子"と"困った大人"

これはジャスパーが学校に行けない日が多くなった頃、3年ほど前の話。



アスペルガーの私は、とても疲れやすい。1日出かけると1日寝込むのが通常なのに、この頃は、学校、病院、他、各機関での面談が毎日のように続いていた。

やっと家に帰っても、面談時に話がしやすいようにと書き物、調べものもした。どんどん疲れて夜、眠れなくなった。ジャスパーの寝言、歯ぎしり、夜驚も続いていた。


そんなある日のこと、台所の隅に座り込んで動けなくなっているところをジャスパーに見つかってしまった。シンク前、ゴミ箱横、とても居心地が良いとは言えない場所。

飛んできたジャスパーが尋ねた。「ママ、大丈夫?ママ、困ってる?…ボク、"困った子"?」。じっとうつむいている私の顔の下に潜るようにして、無理やり覗き込んでくるジャスパー。


「ううん、キミは"困った子"じゃないよ」。うめくように私は言った。「キミは今、"困っている子"なの。だから、ママはキミを助けたいの」「そうなのか~」「そうなのよ~」「ママ、ありがとう」「うん」。

二人ではぐはぐして、二人でちょっと泣いた。

ジャスパーは心配している。私を、そして自分自身を。自分が"困った子"だったらどうしよう、"悪い子"だったらどうしよう。私も抱いていた覚えがある、子どもの頃の心配ごと。


「…重い」。しばらくして我に返った私は、すっかり全身脱力してもたれかかっているジャスパーをひっぺがしながら、言った。「ねえ、ジャスパー」「ン?」

「"困った大人"っているでしょう?」「ウン?」「そういう人って、わがままだったり、乱暴だったり、甘えん坊だったり、まあ、"子どもっぽい"よね」「ウン」ジャスパーが居住まいを正した。

「大人が、"子どもっぽい"と、困るんだね」「ウン」「でも、子どもが、"子どもっぽい"のは自然なんだよ」「?」「だって、ネコはネコっぽいし、イヌはイヌっぽいでしょ」「あ、そっか」「だから、いいの」「そうなのか~」「そうなのよ~」

なんだか元気になってきた。そうだ、いいんだ。大丈夫。私は続けた。


「子どもは、大人になるまでに、"困った"を減らす、"いい方法"を見つける練習をするの。で、その練習が足りないまま、"子どもっぽい"ままで大人になっちゃった人が~~、」「"困った大人"!」「ご名答」

ジャスパーを安心させるつもりで話を始めて、自分も安心してしまった。


そうだ。困った減らしの練習中なのが、子ども。

今回の"困った"も、見方を変えれば、練習用の教材だ。

大人のママは、これまでの練習と経験を生かして、ウィンウィンの"いい方法"をひねり出しちゃおうじゃありませんか。

ジャスパーの目の前で、困った減らしのやり方を実地で実践で、見せて教えちゃおうじゃありませんか。


うん、よーし、俄然、元気出た。私はジャスパーの手を取って、立ち上がろうとした。

「…あー、ジャスパー、ゴメン。ママ、足しびれちゃった」

ジャスパーはママの手を取って、立ち上がった。








2016年7月15日金曜日

教える順番・国語の話

ジャスパーの学習サポートを始めて6年目。ジャスパーに教えてきてわかったことは、国語(第一言語)の習得、習熟が、何よりも大切だということ。

ジャスパーに教えていると、ボキャブラリーの大切さをひしひしと感じる。理科と社会は、突き詰めてしまえば、ボキャブラリー増強科目だ。そして算数さえも、鍵となるのはボキャブラリーだった。


ジャスパーとの算数は、入学直後から、いつも悩みの種だった。算数障害を疑ったりもした(実際そうかもしれない)。それが、ジャスパーの年齢が上がるにつれて、だんだん教えやすくなってきたのだ。

算数の特訓をしたわけではない。ジャスパーのボキャブラリー増加に伴って、理解力、洞察力、推理力も一緒に育ってきたのだ。

教える私も、ジャスパーのボキャブラリー増加で、説明する時に使えることばが増えて、どんどん楽になってきている。

ことばが理解を助ける。思考を導く。ジャスパーに足りなかったのは、算数力ではなくて国語力。生活の中で稼ぐ経験値、ボキャブラリーだったのだ。


小学校の算数は、学び手にことばが足りない状態で理解させようとするから、コトが必要以上にややこしくなっているのではないだろうか。

長方形の面積の計算を「底辺」という言葉がまだ理解できない段階の子どもに、「底辺」を「よこ」、高さを「たて」と呼び変えて、「たて×よこ」として教え込むから、面倒なことになるのだ。

「底辺」がことばとして子どもに通じるようになってから、三角も四角も台形も、ボトムは一律「底辺」で教える方が合理的だ。

三角形の面積「底辺×高さ÷2」も、よくわからないまま丸暗記させるより、「長方形を半分に切れば、そりゃあ三角形になるでしょう」と子どもが体験的に自然にわかるようになってから教えれば、教え手、学び手、双方とも快適になるだろう。

平行四辺形が長方形を水平に潰したものであることも、子どもがある程度育ってくれば「見抜ける」し、平行四辺形とひし形が仲間であることも、教えるまでもなく「わかる」。

垂直、平行、円周、直径、半径、などの単語が生活の中でボキャブラリーに追加されてから、「向かい合う二つの辺」などとということばが何を意味するものであるか、無理なく理解できるようになってから、図形の問題に取り組めばいい、と今の私は思う。

図形の問題だけでなく、小数も分数も、ややこしい単位も、工作や買い物、料理などを通じて、算数用語がジャスパーの生活ボキャブラリーに追加されてから、教えてやれば良かった。

あああ、今頃気付いた。ジャスパー、ごめん。 


もっと本を読もう。ことばを覚えよう。生活経験値を上げて、ボキャブラリーを増やそう。

算数は、ゆっくり丁寧にやろう。今わからなくても、次に挑戦する時には、きっとわかるようになっているはず。今は種を蒔いておこう。一緒に育てよう。大丈夫、大丈夫。



青いトマトを収穫するから、手間暇かけて料理しなければ食べられないのだ。真っ赤に熟れるまでちゃんと待てば、そのまま美味しく丸かじりできる。





2016年7月14日木曜日

教える順番・算数の話

ジャスパーは算数が苦手。学ぶ本人は悶え苦しみ、教えるママも嘆き悲しむくらい、算数が苦手。

私はジャスパーに算数を教えることをよく「波打ち際で砂のお城を作るよう」と表現する。まあ要するに、じれったい。ああ、もう、どうして、キーッ!となるのを押さえるために、ピースフルな砂浜の映像を脳内再生する。ああッ、もうッ、どうしてッ、ざざーん。気を取り直して、ハイ、もう一度。


家庭での学習サポートは、ジャスパーが不登校になる前、入学直後から始まった。授業がわからない。宿題ができない。付きっきりで宿題と格闘した。3時間以上かかることも珍しくなかった。

教えて教えて、やっとわかって、とうとうできるようになっても、しばらくすると、ジャスパーの理解は波にさらわれていってしまう。本人は真面目に、必死で頑張っているのだ。泣きながら机に向かうジャスパーをなだめたり励ましたりしながら、私はこっそり途方に暮れた。


今年6年生のジャスパーと一緒に、算数の学習を五里も十里も霧中になって、千里の道をしょっちゅう引き返しては一歩から歩き直しているうちに、わかってきたことがある。ジャスパーに問題があることは、早い段階からわかっていた。でも、「算数」にも、いや、「教える順番」にも、問題があるのではないだろうか。


ジャスパーが使っている算数の教科書の段取りはこんな感じ。①問題提起。②解き方についていくつかの考え方バリエーションを並列で紹介。③それぞれについてみんなで考える。④解き方教授。その後、⑤自分で問題に挑戦。

この段取りは「考える力を身につける」という目的にかなっているように思えるが、よく考えてみると「すっかりわかっている大人」向けな気がしてならない。わかっている大人なら、落ち着いて、長い長い説明を受け入れることもできるだろう。バリエーション紹介を楽しむことさえできるだろう。しかし、相手は予備知識を持たない子どもだ。


「まっさらな子ども」になったつもりで見てみよう。①問題提起←全然わからない。②解き方紹介←ほとんどわからない。③みんなで考える←まだまだわからない。④解き方教授←やっとわかってくる。⑤問題に挑戦←ついにわかる!

授業では五段階の段取りうち、最初の実に三段階までが、延々とわからないままで進んでいくのだ。つかみはオッケー!(古いか)の逆。子どもたちは、わからない話に退屈しないだろうか。わからない自分に不安を感じないだろうか。

自閉症児のジャスパーは、簡単に退屈するし不安になる。脱線しやすいし混乱してワケワカランになる。授業の第四段階、メインイベントの解法教授まで、たどり着くことができないのだ。そりゃあ授業が苦痛な訳だ。


自閉症の人はその特性から、日本語より英語の方が文法的に分かりやすく感じると言われる。私自身、「何が」の主語がどんなものかわからないまま色々な説明を受け、最後にやっと「どうだ」と述語を明かされる日本語より、「何が」「どうだ」と知らされてから、追加で説明される英語の方が、安心で、迷子になることなく、受け入れやすい気がする(もっと早く気付きたかった)。

さて、教科書の算数の教え方は、とても日本語的だ。問題から答えまでの距離が長い。ジャスパーの話では、学校には「塾でやったから、知ってまーす、できまーす」な子が、少なからずいるそうだ。段取りの②、③段階、解法バリエーション考察に参加できるのは、そんな子たちと、日本語的教授法に適応できる、一握りのいわゆる「地頭の良い」子たちなのではないだろうか。

日本語文法が苦手にできているジャスパーに、日本語的な教え方はキツイ。ここまで考えると、教科書に別れを告げることにためらいはなくなった。解法バリエーションでジャスパーを混乱させ、私を悩ませてくれた、あいさんに、たくみさんに、その他大勢のキャラクターの皆さんに、サヨナラ。

ジャスパーの脳の作りに合った教え方を探せ!そう、それこそが、自身も当事者であるママの使命。自分が枠にはまるのは、ムリ。それを知っているから、ジャスパーを枠にはめるのも、ナシ。


思い立ったら即実行した。主語(問題提起)の直後にすぐ述語(解法教授)。問題に取り組み、繰り返し、既知という名の安心感を作った上で、ゆとりがあれば、解法バリエーション考察。ヘリクツやコジツケ、混乱のもとになりそうな文章題は、ばっさり無視。

ビンゴ。話が早い。教える側も学ぶ側も面白い。ジャスパーの食い付きが良くなった。失っていた自信も取り戻しつつある。ジャスパーの口から「ママ、算数って面白いね!」という言葉さえ飛び出すようになった。


とはいえ、ジャスパーとの算数が難業苦行なのは変わらずだ。ぐるぐる、ぐるぐるの回り道。時々、二人で協力して乗り越える段差。

同じような景色を何度も見てきているけれど、それでもそれが、緩やかな螺旋階段になっていることに、最近気付いた。

だんだん、風通しが良くなってきた。だんだん、見晴らしが良くなってきた。